体の中の配線替えは、実に遅くやってくる。才能の有無も関係しているだろうが、ITや頭脳労働に明け暮れた後に肉体の表現へとスイッチオーバーすると、これまで見向きもしなかった問題が体内に蓄積していたことを目の当たりにする。姿勢や筋肉のバランスは、一人の人間の中で全体が一体となって保たれているので、一カ所だけを変更することはできない。ダウンワード・ドッグ・ポーズと呼ばれる「犬のポーズ」を何度となく繰り返す内に、その簡単な真実がいやというほどわかった。いやだ。しかし、そこを徐々に通り越すと何かいいことがあるのではないか、と期待しながら継続している。
犬のポーズは下向きに四つんばいで手足を伸ばし、ちょうど犬があくびをしているかのように背骨を斜め上へと突き上げるポーズ。うまくできると、横から見て体が「へ」の字となるかっこうだ。本物の犬があくびをすると、誰から教わってもいないのに完璧に出来る。ところが人間だと、どこかに必ず伸びない場所があり、その体の箇所で形がいびつになる。背中が丸まる場合や、膝が中途半端に曲がる場合など、人によって様々なひずみ方をする。
ヨガを始めた初日は、膝の裏や肩胛骨まわりの筋肉がそれぞれ柔らかくなれば「犬」が出来るようになると勘ぐっていた。だがその後五回、六回とレッスンを重ねるにつれ、そういった「リニア=直線的」な解法が通用しない可能性が強まっている。
背中の筋肉は、少なくとも自分の背中の筋肉は、いくつものセクションがお互いに連携してバランスを保っている。いや、正直に言うと今初めて、自分の背中の筋肉がお互いに連携していることが判明したのだ。というのは、肩胛骨の筋肉は上方では首の筋肉につながり、下方では背筋に連結している。肩胛骨に特に硬さが見られるのだが、この硬さから来る独特のアンバランスを首の筋肉も、背中・腰回りの筋肉も補完していた。だから一カ所を「柔らかく」することでは答えにならない。
まんべんなく首の付け根から膝裏・ふくらはぎまでを一続きの筋肉群としてとらえ、そのバランスを作り出すことが必要なのである。自分の体が長い時間をかけて順応した結果が現状のバランスだから、そのバランスのあり方をより「高次元」な調和の取れたものへとシフトさせたい。そのためにはローカルな体の組織の一つ一つ、いや細胞の一つ一つに働きかけなくてはならないだろう。急な改革を行っても、痛みを内包したままで不自然なものとなる。外見がよく見えても、おそらくすぐに崩れて元のバランスか、よりいびつな「守りに入った体型」へとリバウンドしてしまうのではないだろうか。
ダウンワード・ドッグ・ポーズを繰り返しながら、ブッシュ大統領のイラクでの失策をなぜか思い出している。
「中東にはデモクラシーが無い。だから悪の枢軸を取り除き、そこにアメリカが入って地域の住民を解放すれば、あとはうまく行く。」
おそらくこういった考えで入ったのだろう。あるいは何も考えずに自国の都合で侵攻したのだろう。その読みは甘かった。
実際にアメリカがイラクを占領して初めてわかったのは、倒したサダム・フセインの政権が少なくとも三つのグループを束ねて一枚岩に安定させていたということだった。外からはサダムの独裁国家に見えたが、ふたを開けてみると、中には利害の衝突しがちな三つの小国が入っていた。占領後は三つのグループが衝突を繰り返し、混乱がきわまるばかり。目下、アメリカには混乱を尻目に名誉ある撤退をすることが魅力的なオプションとなってきている。アメリカが撤退した場合の「後始末」も厄介だ。三つの地域の相互依存と協調を模索する以外に道はない。アメリカ政権の「こうすれば、次にこうなる」というリニアな論法が祟った事例である。
幸い、自分の体はアメリカ占領下のイラクよりはうまく行きそうだ。しかし、イラク同様にノンリニアな「系=システム」ではある。バランスの悪い肩胛骨まわりの筋肉群を、首の筋肉、背中・腰の筋肉がかばうように変形しているからこそ、犬のポーズが痛くなるのだ。肩胛骨を仮にサダム・フセインの出身地テイクリートだとしてそこにある凝りを解消しても、首の筋肉にあたるクルド人地帯、背中・腰まわりのシーア派地帯に残ったしこりを一緒にケアしなくてはならない。何よりも異教徒による支配ではなく、相手のためにそこにいるのだということを上手に広報して、信頼を勝ち取ることが本質的だ。さらに腰から下に膨大に広がった脚の筋肉群、つまり隣国イランをなだめないと長期的にまずいことになるだろう。
調和の取れたフェアネスを実現するには、体の裏側にある筋肉群が全体に一つの調和した「連邦」となれるよう、重力に対する負担を均等に再分配しなくてはならない。全体のバランス、ローカルなバランスを絶えず同時進行させるという視点が求められる。
それは言い方を変えれば、細胞の一個一個に対して「ドブ板営業」をかける意気込みだ。鈴木宗男議員がカムバックした背景にも思いをはせた。有権者一人一人の顔と名前を覚えているからこそ、逆風の中で議員に返り咲くことが可能だったのではないか?「鈴木宗男スピリット」を学べば、ダウンワード・ドッグ・ポーズも徐々に完成するだろう。細胞一つ一つが、選挙区の一軒一軒に対応する。
「どうかよろしくお願いします」
と訪問を重ねるうちに、それぞれのコミュニティーの中で
「鈴木先生がああ言っているのだから」
と、理屈を越えて投票したくなるムードが漂い始める。そこが臨界点だ。自分の細胞群にも毎日のように説得を続けて、
「モーリーさんがああ言っているのだから」
と「投票ムード」を作り出して行きたい。いったん投票させてしまえば、過去は清算されてチャラになる。体の方も、新しいバランス・ポイントで定着できる。
こうしてヨガを論評することで、苦痛を忘れるためのメンタルな逃避にもなっている。「痛い一歩手前で止めてこそ、ヨガは上達します」とインストラクター達は言うが、おそらくきれいごとだと思う。
